【改名の心得 】
《 改名の心得・1》
姓名学での改名とは、鑑定の結果出生名の運勢が悪いと判断された時に戸籍上の
名前とは別に、もう一つ通称名を持つことです。
戸籍上の名前は、私たち自身でかってに変えたり捨てたりする権利はなく私たちの
名前は個人の所有物ではありません。
国が管理する社会の共有物です。したがって運勢が悪いからと勝手に変えることは
出来ません。
しかし、例外規定はあります。たとえば次の特別な理由のある人は家庭裁判所に
「名前の変更の申し立て」をすることです。
1.商売上の理由があるときで、○代目○太郎というような屋号を継ぐようなとき。
2.同姓同名の人が近くに居て、郵便物が誤配されたりして大混乱しているようなとき。
3.神官や僧侶になったり、またはやめたりするとき。
4.あまりに珍奇であったり、難しくて人に分からないような 名前の場合のとき。
5.外国人が帰化した場合、これはかなりな特殊なケースであって、ほとんどの
人にはこうした正当事由はありません。
問・1
本人が15歳になれば自分で名前を変えられる、と聞いたのですが本当ですか?
子供に「悪魔」とつけようとした事件の際、そのようなことがさかんに言われました。
勿論「悪魔」などと名づけられたら珍奇な名前ですから本人が改名の申し立てが
できます。そして家庭裁判所に改名を許可されれば、戸籍上改名はできます。
問・2
家庭裁判所が改名を許可してくれなかったら、一生名前は変えられないのですか?
家庭裁判所が改名を許可しないときは「却下の告知」がありそれが不服なら
即時抗告の手続きをとって高等裁判所で争うこともできます。
高等裁判所で許可になれば判決文を添付して同じく改名の届けをします。
高等裁判所も許可しなかったら、そこですべて終わりです。
問・3
作家とか芸能人は自由に好きな名前を使っていますが、それはよろしいのですか?
明治の始めに戸籍の制度が作られたとき、文芸・芸能・芸術など「芸」のつく世界の
人が、作品発表のために実名と別の名前を使うことははじめから例外として認め
られていたのです。
つまり芸能人の芸名・作家のペンネーム・画家の雅号などは自由に作って使って
もいいのです。ですがそれは戸籍の実名とは違う名前を別に作っているわけです
から、通称名です。
問・4
戸籍と違う名前を永年使っていれば、本名にすることが出来ると聞いたのですが?
家庭裁判所に提出する「名前の変更許可申立書」の用紙には「申し立ての実状」の
蘭に「通称名として永年使用していた」という項目があります。
そこに○をつければ手続き上は改名の申し立てはできるのです。
そこで戸籍と違う名前を永年使い、この名前以外(本名)で生活をするのは不便だ
という既成事実をもちこみ、申し立てる人はいるのです。
ただ通名(本名以外の通称)を使うこと自体、法律で認められていることではありません。
改名が認められたケースもありますが退けられることもあります。
以上のように運勢か悪いから改名したいと言ってもできません。
芸人のように本名以外にもう一つ運勢の良い「良い名前」の通名を持って本名以外で
通用するすべてを通称名で通すことによって改名の効力は十分に発揮されます。
《 改名の心得・2 》
◎ 改名について誤解の無いように、注意しておきたいこと・(1)。
それは、どんなに姓名が良くても、また、どんな良い名前に改名しても人間
本来の努力、反省、誠意に欠けることがあれば、たとえ完全無欠の姓名でも
宝の持ち腐れに過ぎないのです。
★ 姓名が良いから、遊んでいても衣食住には不自由しない。
★ 五気の組み合わせが良好だから、不摂生をしても病気にはならない。
★ どんな危険なことをしても怪我はしない。
★ 好き勝手なことをしていても晩年は寝て暮らせる。
というような、間違った考えをしてはいけません。
生まれながらの、出生名の完全な人なら、決してこんな考えをするはずは
ありません。
※ 家庭的に恵まれる名前の人は・・・・
家庭の環境が良く、両親の愛情にはぐくまれ、兄弟姉妹の数も適当に、そして
仲良く、生活程度も中流以上の暮らしができるのです。
※ 対外的信用、地位、名声を得られる名前の人は・・・・
社交性に富み、人にも信用され、好かれ、自然に地位と名声がえられます。
それは、本人が何事にも誠意をもって努力するからです。ということは
自分自身が、そういった人格的なものを備えているからなのです。
※ 健康に恵まれる名前の人は・・・・
先天的、遺伝的な病気もなく、重い病気にかからず、また自分でもつねに
健康に注意の出来る人です。
※ 晩年を幸福に送ることのできる名前の人は・・・・
若い頃の努力が実って、自然にそういう立場におかれるようになるのです。
もちろん夫婦縁も円満に、子宝にも恵まれるでしょう。
出生名の良好な人は、これらの条件をぜんぶ備えているのですから、人間として
こんなに恵まれた幸せなことはないはずです。
ところが、出生名のあまりかんばしくない人が、ある年齢にたっしたときに
改名したとします。その結果が、改名と同時に、はたして実現するかどうか?
私の言いたいのは、このことなのです。
いままでに、さんざん悪事を重ねてきた人が完全無欠な良好な名前に改名したら
その日から生まれ変わったような善人に、なれるかどうか?
日常、不摂生の連続で、身体じゅう病気だらけの人が、改名して直ぐに健康に
なれるかどうか?
怠け放題怠け、もう一文の借金も出来なくなった人が改名したトタンに、お金が
転がり込んでくるかどうか?
こんなことは、常識で考えてもわかるでしょう。
このわかりきったことを、私がここで注意したいのは、今までによく、こういう
愚問を発して、姓名学をけいべつする人が案外に世間には多いからなのです。
「名前が良ければ、遊んでいても食えるのか」
「良い名前に改名したら、金儲けがうまくできるのか」
などと、まったく愚にもつかないことをいう人があります。
勿論こういうことを口にする人は、その名前をみればすぐにわかります。
その五気を一見しただけでも、「は、はぁー。この人は自己を主張し、疑心深く
他との円満を欠き、そのために自己を誤ること多し」とすぐに判断することが
できます。
この様な人には、私たちがいくら口を酸っぱくして説明してみたところでとうてい
納得してくれるはずはありませんから、言うだけ損で無駄なことです。
こんな人にかぎって自己主義で、人を信用することを知らず、また神も仏も信仰
できず、先祖の回向も満足にしていないのはわかりきっています。
生まれてから今日まで長い間つかっていた名前を、どんな良い名前に改めた
からといって、その効果がただちに実現するものではありません。また悪い
名前にもその差があります。
どうにも処置のないほどに悪い名前の人もあれば、わずかにその一部分が
少し悪い程度の人もあります。また、影響の大きい人もあれば、少ない人も
あります。
改名の効力は、その差異によって、早く現れるものもあれば、また遅くなる
こともありますが、要は、その人の心がけが何よりだいじです。
改名したら、出来るだけフルに使用して多くの人に知ってもらいましょう。
相手からも改名した名前で書いたり、呼んだりしてもらうことです。
大切にしまいこんでいては、まったく効果は発揮しません。使えば使うほど効果が
現れてくるものです。
改名と同時に心機一転、さらに努力してこそ改名の効果は期待できるのです。
《 改名の心得・3 》
◎ 改名について誤解の無いように、注意しておきたいこと・(2)。
改名する場合に、ただ漠然と
「どうも名前が良くないらしいから、なにかほかの名前に変えてみよう」というような
アイマイな軽い考えであってはなりません。
1.陰陽の配列、画数のどこが悪いのか?
2.この五気の組み合わせは、なぜ悪いのか?
3.どの字が、どういう理由でいけないのか?
そう言ったことを、はっきり認識して、自分の今日までを十分反省し、改名と同時に
心機一転、さらに努力してこそ、改名の効果が期待できるのです。
姓名学によって自己の欠点も長所もわかります。運勢を予測できることは
いままでに述べたことで理解できていると思います。
五気の組み合わせが、火火・金金・土土・木木などのように重なっている人は
必ず短気で頑固なところがあるのですから、改名と同時に、その欠点をなおす
ことが出来ますし、それによって、今まで逃がしていた地位や名声や信用を
得ることも可能になるでしょう。
病気や怪我などの多い人も、名前に出ているのですから、これも自分で注意を
怠らないようにしておけば大病や大怪我をしなくてもすむでしょう。更に改名に
よって、これを最小限度に避けることが出来るのですから、悪い名前のままで
いるよりも、改名したほうが遙かに賢明であることは、解りきっていることでしょう。
「今日まで、自分としては出来るだけのことをしているのに、どうしても芽がでない」
という人は、改名して、今まで通りの誠意と努力をつづければ、必ず報われるに
ちがいありません。
「改名したから、誠意も努力も必要ない」などと考えてはいけません。
「改名してから一年もたつのに何も変わったことがない。かえって悪くなったくらいだ」
なんて自分では何一つ努力もしないでグチる人がありますが、これは姓名学を
誤信しているからです。前科十数犯なんて人が改名したからといって、だだちに
善人になれないでしょう。
しかし、精神をいれかえて改名したら、その効力は、その日、その時からでも
現れるでしょう。生まれ変わったつもりで、名前も通名と思わずに、出生名の
つもりになればよいのです。
長い間、医療に手をつくしたが、どうにも思わしくない、という人もあります。
その病根が名前からきているものなら、改名によって治す事が出来ます。だから
といって、もう医者も薬も不要だ、というのではありません。
姓名学の神秘性というのは、ここにあるのです。
姓名によって運命づけられているため、人間の力や科学の力をもってしても
どうにもならない場合があります。どんなに宗教を信仰しても、駄目なことも
あるでしょう。こんな時には、悪い名前を良い名前に改めるより方法はないのです。
そして、悪い名前の持っている宿命から、早く遠ざかるようにすべきです。
誠意と反省と努力があれば、それは必ず達成できることなのです。
誠意も反省も努力も愛情も、人間として必要欠くことの出来ない何ものも持たずに
どんな良い名前に改めたところで、それが何になりますか?
神棚を造り、仏壇を設けたからといって、心から拝む気持ちがなければ、どんな
立派なものを設けたところで、それは単なる見栄であり、見かけ倒しであって
何のご利益もなければ、クソの役にもたたない無用の長物というべきです
この点をよく理解して、けっして間違えた考えや、誤信をしないように特に注意
しておきたいと思います。
《 改名の心得・4 》
◎ 改名の時機
姓名は使えば使うほど、その効力を発揮するものである、ということは何度も
説明しました。
良い名前でも、悪い名前でも、使用することによって、その結果が生じるのです。
ですから、悪い名前を長く使っておれば、悪い影響はそれだけ大きくなります。
改名は一日も早いにこしたことはありません。そして、改名と同時にウンと使う
ことです。どんなに良い名前に改名しても、使用しないことには、なんの価値も
ありません。
日本の宗教に日蓮宗というのがあります。私は他の宗教のことは、あまり
知りませんが、この日蓮宗のことを、別名、無知宗とも言っています。それは
何故かと言いますと・・・
「宗教的な理論も理屈も、知識も何もいらない。お題目の、南無妙法蓮華経の
意味が理解できなくてもよい。ただ、お題目をとなえることによって、どんな
無知な人でもご利益がいただける」というように、教えているからです。
とにかく理論も理屈も知識も何も必要ではない。お題目を唱えなさい、と言うわけです。
ここに姓名学と、一脈通じるところがあるようです。
お題目は唱えれば唱えるほどご利益があり、姓名は呼べば呼ぶほど、使えば
使うほどその効力が発揮するのです。
お題目に、学問や科学で解決の出来ない神秘性のあることは衆知の通りですが
姓名にもやはり同じことがいえるのです。
宗教には奇蹟やご利益がつきものになっています。そして、どの宗教の信者も多かれ
少なかれ、これを授かろうと頼む気持ちは必ずいだいているでしょう。
「不治の病がなおりますように・・・・・・・・・・」
「家運が隆盛になりますように・・・・・・・・・・」
「子供が無事に成育しますように・・・・・・・・・」
「夫婦仲が円満にいきますように。良縁がありますように。金が儲かりますように」
その人その人によって、頼み事に差はあるでしょうが、何らかのご利益を願わぬ人は
おそらく一人もないように、自分の力以上のものを、神仏の力によって求めようとする
気持ちは、誰でも持っているにちがいないのです。
新興宗教は雨後のタケノコのように発生していますが、そのほとんどが、お題目を
主体にしている、といってもよいくらいです。
それほどにお題目は有難いものであり、霊験あらたかなものとされています。
お題目による奇蹟は、日蓮上人の伝記を読んでも解るように、竜の口の法難、伊豆の
爼岩などの話は誰でも知っていることです。
また現代に於いてもお題目を口唱することによって、ご利益を得た例は枚挙にいとま
がない程たくさんあります。決して宗教上の宣伝文句や、作り事ではありません。
「そんなことは偶然の一致であって、ご利益ではない」と否定する人もあります。
しかし、こういう人は神仏はおろか、最後には、自分自身すら信じることの出来なく
なる哀れむべき人種というべきでしょう。
ただし、いくら有難いお題目に接したところで、人間としての日常生活を無視する
ことはできないでしょう。
また、どんなに熱心に、朝から晩まで、お題目を口唱していても、自分の仕事や
つとめを放っておいてよいというものではありません。
もし、それでもよいということになれば、誰一人、汗水たらして働く者がありますか
人間生活があってこその宗教であり、努力や反省、誠意や愛情あってこその宗教で
あらねばなりません。
朝から晩までただ神仏に拝んでいて、生活できるわけではないのです。
宗教家や盲信家には、ときたま、誤った考え方をしている人があるようですが
これでは、日に百万べんお題目をとなえても、ご利益はいただけないでしょう。
この道理も、姓名学の場合と同じことです。
とにかく、宗教に奇蹟や神秘性があると同様に、姓名学にも必ずあるということ。
そして、お題目を口唱すると同じように、名前も数多く呼んだり、使用したり
しなければ効力はうすい、ということです。
表札・名刺はもちろんのこと、年賀状や暑中見舞いなど、戸籍名でなければならない
場合をのぞいて、あらゆる場合に使用して下さい。
家庭内においても、兄さん姉さんではなく、できるだけ名前を呼び、夫婦間でも
パパ、ママ、あなた、きみ、でなく名前を呼ぶようにしたいものです。
はじめのうちは、テレくさかったり、呼びにくいでしょうが、ことは重大なのです
から真剣に考えて徹底しなければなりません。
子供の頃は、姓よりも名前を使用することが多いのですから、この頃に改名する
のがもっとも効果があります。
10年も20年も、50年も60年も使用してきた出生名は、その期間が長いほど
身にしみついていますから、改名したからといって、なかなか思うようになならない
でしょう。
しかし、改名しないより、したほうが遙かに良いことは明白なのですから
悪い名前の人は、たとえ年を取っていても、いや、年をとっていればいるほど
一日も早く改名するようにしたいものです。
そして、そのために晩年が少しでも幸福になれたらなによりではないでしょうか。
人間は誰でも、事件が起きてからでないと、そのことに気がつかないものです。
また気がついたり、あるていど、気にしていながら、まさか?と思って捨てて
おくこともありがちです。
これが、単なる小さな事件なら、取り返しもできるでしょうが、人命に関するような
場合だったら、あとになって、いくら悔やんでみても追いつきません。
「転ばぬ先の杖」とはよく言ったもので、姓名に関する場合は、とくに留意して
あとの祭りにならないようにして下さい。
《 改名の心得・5 》
◎ 改名してどれぐらいで効果が現れるか。
改名してどれぐらいで効果が現れるかは、皆さんのもっとも気になるところと
思います。数日後か、数か月後か、あるいはもっと先か。
残念ながら明確な答えはありません。新しい名前を自分の分身としてどれほど
真剣に使いこなすか、その努力のいかんにかかっているからです。
ただ中国やインドでは、90日といわれています。これは「先祖がえり」の思想に
基づくもので、亡くなった人間と同じように、名前(文字)も90日間で輪廻して
生まれ変わると言い伝えられているのです。
ふつう、名前(もじ)は、その人が生まれてから死ぬまで一生ついて回るもの
です。不運にも悪い名前(文字)を持ってしまった人は、その悪い暗示を死ぬ
まで引きずらなくてはなりません。それを回避するためにも悪い名前には一旦
死んでもらう。そして良い名前に生まれ変わってもらう。
改名とは、端的に言えばそういうものなのです。先ずは3か月間、自分が生まれ
変わったつもりで懸命に使ってみることです。
名前には文字の霊力が宿っています。文字は生き物(生霊)ですから、改名する
前の悪い文字と完全に決別できなければ、凶暗示(凶作用)はいつまでもまとわり
ついてきます。ですから、それに負けぬよう新しい名前に意識を集中させなくては
なりません。ここが一番肝心なところです。
改名して開運に成功する人は、以前の名前を呼ばれても振り向きません。
それくらい新しい名前への思い入れを強くするのです。私が改名した有名人の
中には運勢が良くなったとたん、新しい名前を使わなくなってしまう人もいます。
これでは、折角開かれた運もまた閉じてしまいます。使い続けることが必要です。
改名されたら最初は馴染みが無く、愛着ももてませんが、フルに使用することに
よって出生名以上に大切な名前になり、愛着が持てるようになるのです。
改名によって生まれ変わったつもりで努力すれば必ず幸運は掴めるはずです。
【改名の心得 】 ・・・ (END)