上記の三つのうち、一つが悪くても、良い名前とはいえません。
姓名の重要性(その1)
あなたは一生涯、病魔から逃げられない」
「あなたは事故にねらわれている」
「あなたには不運がつきまとっている」
★もしも、貴方の名前がこんな名前だったらどうしましすか?
「どんなに働いても苦労の絶え間がない」
「妻に縁がない。両親に縁がない。子供に恵まれない」
★もしも、貴方の名前がこんな名前だったら、貴方はいったいどうしますか?
「赤ちゃんが生まれたんですって!それはおめでとう」
だが、ちょっとお待ち下さい。赤ちゃんにそんな名前をつけたらたいへん。
健康になれません。事故にあいます。結婚に恵まれません。あなたと縁が
ありません。
「なにをバカな、そんなことがあるもんか」と力んでみても統計的に
そういう名前だからどうにも仕方がないでしょう。
毎日の新聞紙上に出ている事故死亡者、自殺者、犯罪者などの名前が
みんな姓名学統計数理に、ピッタリあてはまる名前ばかりなのです。
よい姓名の人は絶対に事故死にはあいません。
健康で、家庭円満、資産、名声、地位、子宝、長寿に恵まれます。
こんな重宝な名前があるとしたら、誰でもつけたくなるでしょう。
これが新しい姓名学なのです。
姓名の重要性(その2)
この世の中から悪い姓名を追放して、みんなが良い名前をつけたら
どんなに明朗な暮らしよい平和な生活ができるかわかりません。
名前を見れば、その人の運勢や性格、病根などを鑑定することができます。
ということは、名前によってその人の運勢や性格、病根などが決定ずけられて
いるともいえるのです。
昔から今までに実在した人の名前と、その人たちの運勢、性格などについて
数理的に統計を作ってみると同じ系統の名前の人、千人のうち、999人が
運勢、性格、その他が類似していたとすれば、これは決して偶然の一致とは
いえないでしょう。
子供が生まれると、両親はその名前に頭を悩まします。子供の幸福を祈って
なんとか良い名前をつけようと努力するのは当然のことで、これも親の愛情
でなければなりません。
しかし両親に姓名学の知識がなければ、どんなに四苦八苦して考えてみても
どうにもならないでしょう。「姓名なんていうものは、ふちょうだから何でも
かまわない」という人もありますが、とんでもない認識不足で、そんな人に
限ってロクな名前しかもっていませんし、これほど無責任なことはないでしょう。
自分の名前だけならまだしも、可愛い子供にも奇妙な名前をつけて得意になって
いるのだからしまつにおけません。将来、子供からも恨まれ見放されても仕方の
ないことで子供が可愛そうです。子供の名前は決して親の好奇心だけでつけない
でくださいね。
姓名の重要性(その3)
姓名の神秘性と、その重大さがわかればわかるほど名づけ親になる
ということは責任重大で、なかなか簡単には出来るものではありません。
少しでも名のある人に名づけ親になってもらったり会社関係の人ですと
自分より目上の課長とか部長、重役、社長などに頼んで名前をつけて
もらう人がよくあります。
頼まれたほうも、気軽に引き受けて「部下の○○君にこんど男の子が
生まれてね仕方がないから僕が名づけ親になってやったよ」なんて得意
になっているのをよく見受けますが頼むほうも引き受けるほうも、こんな
無責任な話はありません。
社長さんにつけて貰った子供が、一年も経たないうちに死んでしまったか 事故によって片輪になった、ということもありますが姓名学も知らず
その神秘性も重大さも知らずに名づけ親になるなんて、とんでもない危な 話です。
その赤ん坊の一生涯を支配する名前である、ということを十分に
認識しなければなりません。姓名鑑定でも同じことがいえます。
無責任な鑑定をして、いい加減な口から出まかせな鑑定をする人がいます。
この口車にのって一生を誤るきのどくな人も、またたくさんいます。
日本における今日までの姓名学には足りない点がたくさんありました。
姓名学というよりも、むしろ商売を目的としたいわゆる姓名判断の類で
あって、たんに名前の字画だけで判断したり、その陰陽の配列だけで判断
するという実に無責任で幼稚なものが多かったようですが、これでは半分も
当たらないのが当然で「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と軽蔑されても
仕方がないでしょう。
姓名学は八卦や占いや迷信ではありません。姓名学統計数理は古くから
研究された学問ですが案外この研究家の数は少なかったようです。
第一の原因は姓名学を大道易者と同一視する傾向が多かったこと。
第二に、一般大衆が姓名の重大性を知らなかったこと。